授業の量 children who think the lesson is not challenging enough. 2003 5 24

 今は昔、私は大学生のころ、家庭教師をしていました。
中学校の科目を教えていましたが、その子は小学生だったのです。
その子は、もっと難しいことが勉強したいという希望から、家庭教師を雇ったのです。
その子は、いつも言ってました。授業が遅くて、退屈だと。
学校で、もっと自由な時間を作ってくれれば、もっと難しい勉強にチャレンジできると。
要するに、その子は、もっと自由な時間が欲しかったのです。
その自由な時間を使って、もっと自由に勉強したかったのです。
 資本主義社会においては、知識が多ければ多いほど、所得が増えます。
そして、所得が多ければ多いほど、子供が、よい教育が受けられます。
 しかし、その出発点は、その親が、どれほど、知識を身につけたのかによります。
 最近は、授業の量を減らす方向にありますが、これでは、勉強のできる子と、
勉強のできない子との格差が、さらに広がります。
勉強ができる子にとっては、自由な学習時間が増えるからなのです。
 一般的に、勉強のできる子は、予習が重要で、授業は、その確認に過ぎませんが、
勉強のできない子は、復習を重視すべきです。
勉強のできない子は、一回、授業を聞いただけでは理解できません。
何回か復習してあげて、初めて知識が身につくのです。
 それゆえ、勉強ができる子には、予習プログラムを、
勉強ができない子には、復習プログラムを用意する必要があります。
 それにしても、生徒や学生は、自分の置かれた立場を勘違いしているのです。
社会人になってから、学びたいという人は多いのです。
しかし、社会人で学ぶのは、大変なことなのです。
かなり学費が高いのです。安い給料のなかから学費を捻出するのは大変なことです。
人によっては、高い学費のためにボーナスをつぎ込む人あり、ローンを組む人あり。
しかも、金が用意できても、会社に余裕がなければ、学ぶことを会社は認めてくれません。
 その点、生徒や学生は、タダで勉強ができるのです。自分の小遣いは使っていないでしょう。
しかも、生徒や学生が勉強したいと言えば、誰も邪魔はできません。
こういう実に恵まれた立場にあるのです。
 さて、最近の若者には、本を書きたいという人も増えてきました。
これは、活字文化を維持するには、重要なことです。
しかし、一冊の本を書くには、50冊の本の知識が必要とされます。
だから、本を書くことは、読書することです。
いかに多くの本を読むことが、本を書くことへの近道となります。
 若くして本を書きたいならば、多くの本を読むことです。
多くの本を読むには、読書法を身につけることです。
それはたとえば、速読法でもあるでしょう。
また、一冊の本を読んだら、今度は、逆に最後のページから読むことも、
知識が深まります。いろいろと自分にあった読書法を開発することです。
 忙しいビジネスマンならば、本の目次を精読して、その内容をイメージすることです。
イメージが湧かないならば、その章を読んでみることです。
 忙しい経営者ならば、秘書にその書を読ませて、その内容を語らせて、
自分が目次を読んでイメージしたものと比較するのもよいでしょう。
とにかく自分にあった読書法を開発することです。